私はあんまり自分を肯定するのが上手ではない。

基本的には自分のことは能力的に不十分であると思っているし、この世の人間は殆どが自分より秀でていると結構本気で思っている。

否、それ自体は問題ではない。
他者と比較して、その時点で自分の価値が低いと感じてしまうこと。
その行為こそがよろしくないなと最近思い始めた。


非常に言いづらいが、私は、人を疑うのが得意だ。
親しい人ならばなおさら。

どれだけ親しくても、「でもどうせこの人だって……」と考えてしまう要素が1ミリはある。
必ずと言っていいほどある。

そうやってバツをつけておくことで、その人が完璧でないことに安心するのだ。
私は非常に劣った人間であるけれど、この人だって百点ではない。
だから大丈夫、と。何かに安心しておくのだ。

そもそも、人間が完璧でないなんて当然のことのはずである。
それでも私が執拗に他者に『完璧でないこと』を求めるのは、私が私自身を肯定できていないから。
不十分な自分の価値を見いだせていないから、他人が不十分であることを求めてしまうのだ。不十分であることこそ、その人の価値であると。

この感覚は、非常に心苦しい。
なんでかって、私の腹の中に常に天使と悪魔を飼っていることになるからだ。

私は親しい人が好きである。
冗談なく。心の底から。マジで。
本当に尊敬しているし、仲良くしてくれたことや、出会えた事実に感謝を抱いている。

が、その上で、その人にバツをつけたがる自分がいるのも本当なのだ。

私はこの人が好き。
この人はこういうところがダメ。

この両方の思いを上手く両立させることができなくて、私は一人の人と向き合うだけで、非常に大量のエネルギーを浪費してしまう。
好きな友人なのに、ほんの針の先みたいな欠点を見つけては、それを飲み込んでいつまでも自分の腹の中をじくじくと傷つけてしまう。

私は、もっと、無条件に。
もっと無条件に、普通に、友達を好きでいたい。

バツをつけるのでなく。
無抵抗になるのでなく。

大切な、ありがたい人たちと、普通に。
普通に、普通に仲良くしていたいのだ。
心の中の自分も含めて。

そしてきっとそれには、劣った自分を認める力が必要なのだ。

私が友達をいつまでも大事にするためには、私は、私の価値を認めて磨いて大事にしてやる必要があるのだ。



はたして私にそんな価値はあるのだろうか?
と考えて、後は冒頭に戻るのである。

多分このループは、私が私の愛する世界を殺すまで終わらない。
終わらせたいとは、思っているのだけれど。