貧乏ゆすりでバランスボールから落ちる、四ヶ内(しがない)と申します。
昔から勝負が嫌いです。
なんなら大人になってようやくジャンケンに慣れてきたというくらい苦手です。
ウソのような本当の話です。
勝ち負けの存在するものが基本的に好きでなく、
特に相手が機械でなく人間だった時のしんどさたるや。
ソリティアは平気ですが、ババ抜きは無理です。そんな感じ。
特に勝敗に何かがついて回るのが大嫌いです。
「じゃあ負けたやつが○○な!」みたいなの。
もう、マジで、無理。
そんなことになったら「あ、じゃあ私○○やるよ」と自分から名乗り出るレベルで、
勝ち負けという概念が苦手なのです。
~目次~
勝負が嫌い=負けるのが嫌い=負けず嫌い?
四ヶ内の勝負嫌いの大きな由来は、
そもそも「負けるのが嫌い」というところから来ています。
負けた時の、周囲のムードや残念だったねなどの励まし、
などなどが何故か小さい頃から強烈に嫌いだったのです。
「次は勝てるように頑張ろうね」って、なんで?
今までの人生で、基本的に勝ち負けがついたのは「苦手なジャンル」ばかりでした。
運動とか、ゲームとか。
どれだけ運動音痴が頑張ったって、好きで練習した得意な人にスポーツで勝てるわけがない。
ゲームなんて、遊びに来た子よりもそのハードが家にある子の方が強いのは自明の理です。
むしろ勝っちゃったら、その子達の立場どうなんのさ、みたいな。
昔っから多々不器用で、運動神経も悪い方だったので、
勝負事で人に勝てる機会なんてほとんどありませんでした。
時々勝てたとしても、そこに存在する達成感は勝利に対するものではありません。
自分が生み出したもの。やり遂げたこと。
それに対する達成感はあれど、勝利そのものが嬉しかった記憶はほぼないです。
勝ちそのものに価値を(図らずもシャレに)見出そうとするたびに、
中身が空っぽのような、どうしようもなく惨めな気持ちになりました。
勝敗のない世界は『ダサい』のか
最終的に行き着いたのは、イラストや文章という上下のない世界。
「認められるか」「認められないか」という根本的な原理原則だけの世界。
遠目から見たらそれも広義の「勝ち負け」なのかもしれないけれど、
少なくとも私にとっては、勝負のない心地よい世界でした。
面白いものを書けば面白いと言ってもらえる。
つまらないものを書けば特に何も返ってこない。
それだけの世界です。
それはとても……とてもとても楽しかった。
私は自分自身のことを、負け犬であると思っています。
けど、自分自身が身を置いている、
文章や創作の世界を負け組だなんて思ったことは一度もありません。
この世界は最高です。
この世界にいる人も最高です。
勝ち負けはなんのために存在する?
間違っても私は、スポーツに従事する方や、
ゲーマーの方を否定する気はこれっぽっちもありません。
自己弁護のようですが、本心です。
上に行けば行くほど、素晴らしい人たちだと思う。
とにかく自分を磨き上げる方々を、私は心底尊い存在だと思っています。
けど上に行けば行くほど、
ある意味勝ち負けそのものにこだわっている方って少ないと思うのです。
自分を超えられるか。
今を超えられるか。
トップの方からひしひしと伝わってくるそういった精神性は、
むしろ創作の世界に近いものがあるのではないかなと思います。
勝ち負けって何のために存在するのでしょう。
少なくとも相互理解のためではありません。
他者との間に勝負が発生する時は、「相手に自分の言うことを聞かせてやろう」という
思いの元生まれた戦いが少なからずあるはずです。
個人のレベルでなく、大きな歴史上のくくりの中でも。
じゃあ大人が子供に与える勝ち負けって何のためにあるんだろう?
学校で先生が教えてくれるものには、どうしていつも勝ち負けが存在するの?
私は、教育として与えられる勝ち負けには、
自己肯定感を育むという目的があるのではないかと思います。
勝てばそりゃ嬉しいです。
喜びは自分の価値を把握する一番簡単なモノサシになります。
でもそれ、裏を返してみたら。
勝たなければ育たない自己肯定感って何よ?
少なくともここに、勝利体験が非常に少なく、
それゆえかは分かりませんが自己肯定感が異常に低い人間がいるわけです。
負け続けたら、自分を肯定することはできないの?
最終的にこんなつまらない人間になってしまうの?
なにそれ。
勝たなきゃ育たない自己肯定感って何。
つまらなすぎるでしょう。
社会にwin-winという言葉が浸透し始めてしばらく。
そろそろ「勝敗」とかいう言葉そのものが古臭いものになっても良いんじゃないでしょうか。
勝敗なんてなくても、自分を肯定することはできて良いはずなのです。
それこそ文章とか、イラストとか、料理とか、TRPGとか。
もっともっと色んなものに、「勝敗」以上の価値が与えられてもいいんじゃないかと。
四ヶ内は思います。
コメント
コメント一覧 (4)
おっしゃる通り、勝つことでしか自己肯定感を得られないという人生はつまらないと思いました。
勝ち組、負け組、競争という言葉は大嫌いです。
結局のところ、人より優れていると思えないと心の余裕が保てない、弱い人達が使う言葉かな、なんて思います。
もちろん、勝つことがモチベーションになる人もいるでしょうから、全て否定はできませんが。
今子育て中で、少なくとも勝つことでしか自己肯定感を持てないような育て方はしないように心がけています。新しいことに取り組んだら褒める、何か頑張ったら認める。結果が出たらその過程の努力を讃える。その方が豊かな人間性が育ち、自己肯定感も満たされるのではないでしょうか。
今スポーツで活躍されている方は、負けず嫌いだけが成功のポイントでは無いと思います。そのような取り上げ方しかしないテレビは、きっとその人の本質を何も分かっていないと思います。
長くなってしまいましたが、筆者さんのような考え方に賛同できる方が増えた方が心豊かな社会になると感じています。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、勝利にこだわることは自己肯定感を育むのに大きな危険を伴うのではと自身も思います。
勝利がエネルギーになる方もいれば、勝利でエネルギーを奪われる人もいる。
それを思うと、経験者が限られてしまう『勝利』よりも、誰もが必ず通り道とする『過程の努力』『取り組み』にも価値を見出さなければ、やはりなんらかの歪みが生じてしまうのでしょう。
もちろん勝利は悪ではありませんが、勝てなかったからといって無価値ではない。そういう価値観がもっと広がっていくことを願っています。
この度は貴重な考えをお聞かせくださりありがとうございました。