昔、文章を教えてくれた人に言われたことがあります。

「人が死ぬ物語で涙が出るのは当たり前。
 物語を作る人の真価は、人が死なないストーリーを手がけた時に発揮される」

それに「確かに」と納得したものです。

最近になって、この言葉が意外と呪縛みたいに染み付いていたことに気が付きました。
そして呪縛に気づくと同時に、緩むのも感じました。

涙が出るのが当たり前の展開でも、いいんじゃないか。
人が死んで涙が出て、それが物語であることに、何か問題があるだろうか、と。

人が死ぬこと、人が死なないことは些細な問題で、ようはそれに伴う受け取り手の視点なのかもしれません。

そこに涙を流すものがあるなら。
きっとその物語は、涙を流す価値のあるものなのだろうなあと。
目の前に受け取り手の存在してくれている幸せな最近を思いながら、自分で反芻しています。