呆然としていた。

 布団に座り込み、日焼けして表面がうっすらとひび割れたフローリングを見つめていた。



 「文章を書くのが好き」だと思っていたし、信じていた。

 わたしにとって文章は捨てられないものだった。
 一度試したから知っている。わたしは文章を捨てられなかった。


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才能がないという自覚


 上京する前までは、正直テキストエディタよりもペンタブを握っている時間のほうが長かったのだ。
 白くてマウスを乗せても快適なペンタブレットは、荷物になるし広げる場所がないからと実家のダンボールに封じて東京に来た。

「全部捨てよう」

 それが上京して最初の決意。

 大学入学時、すでに自分の身にしみていたのは、「わたしには才能がない」という事実。

 知っていた。
 わたしより美しい文章を書く友達を何人も知っていたし、わたしには想像もつかない美しい世界を描き上げる友人だって溢れていた。
 それが少し特殊な環境とは知らなかった。わたしはただそこで世界のアベレージを定め、自ら自分をふるい落とした。

 でも事実だったとは未だに思っている。

 わたしにイラストの才能はないし、わたしに小説を書く才能はない。

 わたしはあまりにも高校までそれに傾倒していて、発達障害寸前の思考のズレすら抱いていた。
 それを克服できたのは受験勉強がきっかけで、わたしは義務教育9年と高校の3年間が終わる頃ようやく、「勉強する」という行為の価値を理解できたのだ。

 同時に「勉強には時間がかかる」とも。

 「大学で勉強するには才能のないことをしている暇はない」

 わたしの出した結論、というか、決意。と思い込んでいた、稚拙な計算。

 わたしは「自分には勉強の才能がない」という最大の事実をきちんと自覚する間もなく、描くことと書くことを捨てて上京したのだ。


 ただ実家を出る時、描き溜めた200冊の落書き帳はどうしても捨てられなかった。
 けど今では、その落書き帳を詰めたダンボールすらどこにいったのか分からない。それらを永遠に失ったことをすでに感じていて、掛け替えのない、という言葉を身をもって一文字ずつ理解している。




突然の再起動



 意外な転機は大学のパソコンルームで。

 レポートを書いていて、保存し終わり、後はパソコンを閉じるだけだった。

 わたしはショートカットキーで上書き保存して、そして。


 なぜかテキストエディタを開いていた。


 なんでか分からない。けど本当にふと、「書こうかな」と思った。
 久々に、とか。
 もう捨てたこと、とか。

 そういう思いが浮かんでくる隙間すらなかった。

 口に含んだものを飲み下す。
 そんな生理的行動のように、わたしは無意識に文章を書き始めていた。


 イラストはわたしから出ていってくれた。
 けど文章はわたしを逃してくれなかった。



 大学卒業時、引っ越し直前の部屋でレンタルした袴を脱ぎながら。
 「文章を捨てるのは諦めよう」とわたしはようやく踏ん切りがついていた。




ライターになったら病んだ



 だからライターになった。
 けれど違った。
 それを自覚したのはおかしいかな、ライターになってメンヘラ悪化して休職して千葉にきて、自分で文章を切り売りするようになってからだった。

「違う」

 書き上げるまでは割と夢中で、でも書き上げると猛烈に渋いものが常に胸中に生まれた。

「違う、こういうのじゃない」

 文章を書くのが好きだと思っていた。
 文章を書くとは飽くまでも「文章を書く」というそれだけが一つの行為だと思っていた。ただそこにだけ価値が存在するものだと思っていた。

 クライアントにテキストを納品して、特に修正がないとの連絡に安堵しながら。
 すっとわたしは考えていた。

 何かが変だった。
 いつもみたいに楽しくなかった。

(『楽しい文章』とは)

 楽しい、という感覚に違和感を感じていることに気づく。
 そこでゲストハウスに引きこもり、自分の中では比較的楽しかった記憶のある創作小説を掘り起こして、自分で書いた文章をスマホで延々読み返してみた。


 それで。
 深すぎる納得と共に凍りついた。
 突然下瞼から溢れた水滴は、誰かに助けて欲しいと願う時に溢れるものとは違う感触だった。



 ようやく分かった。

 わたしは、「文章を書く」のが好きなのではなくて。


 「好きなことを語る」のが好きなのだと。


 そこを深いところで全然理解していなかった。
 ただキーボードがあれば良いと思っていた。
 タイピングが早ければ便利だとそれだけ思っていた。



 違う。
 違った。

 わたしは。



 わたしの話を誰かに聞いて欲しい。


 めっちゃ好きなものの話を。
 めっちゃきれいなものの話を。
 めっちゃ感動したものの話を。


 誰かに聞いて欲しい。


 現実では上手く伝えられないことを。
 家では家族に言えなかったことを。
 学校では友達に分かってもらえなかったことを。


 誰かに聞いて欲しい。


 それがしたくて文章を書いていたことにようやく気づいたのだ。





 だから、わたしは、きっと。
 一生「好きなことを語る」ことを辞めないと思う。

 大げさに言えば呪いで、分かりやすく例えれば煙草みたいなもの。
 わたしにとって「文章で好きなことを語る」のは、もはや中毒に至ってしまって、断っても断っても何度もこっそり帰ってくるもの。

 わたしが文章を書くのはプライドでも意地でもなんでもなくて。
 才能があるという甚だしい勘違いをしているわけでもなくて。
 ただ「やめられない」。小学生より幼いその理由のせいなのだ。


 だからそれでいいと思う。
 だからわたしは一生、「好きなことを語る」ことを辞められないと思う。





 わたしを育ててくれた一言に、

「書きたい文章じゃなくて、読みたい文章を書きなさい」

 というのがある。



 わたしは言いたい話じゃなくて、聞きたい話を書くべきなのだ。今は。きっと。